第5回 日本生殖医療心理カウンセリング学会 ( JAPCRM ) 学術集会 開催報告
早いもので、本学会も第5回という節目の学術集会を迎えることができました。今大会は柴原浩章先生(自治医科大学教授)を会長とし、「喪失」をテーマに1日非常に密度の濃いプログラムが展開されました。
当日の東京は折しも、数年ぶりの大雪に見舞われ、参加者が無事会場まで来てくださるかどうか役員一同やきもきしていましたが、開始時間には殆どの事前登録者と当日参加者の方で会場はほぼ埋まっており、定刻に開始することができました。足元の悪い中会場に足を運んでくださった参加者の皆様には感謝してもしきれません。ある役員が「ふつう医学会だとこの天気でこんなに参加があるなんて考えられないことなんですよ」といってくださいました。この領域に対する関心の強さと、期待に対する責任の重さを再認識いたしました。
学術集会は柴原会長の挨拶に始まり、引き続き恒例となっている「教育セミナー」が行われました。このプログラムは当初から組まれている内容で、本学会の学際的広がりを象徴するプログラムです。生殖医療についてあまり知識のない心理士に対しては医学講座、カウンセリングについてあまり知らない医療関係者に心理学講座という2本立てで、それぞれ教育的な講演を行うものです。今回の医学講座は次期会長である森本義晴先生(IVFなんばクリニック院長)による「不妊治療における統合医療の意義」についてのご講演でした。統合医療はわが国ではまだまだ注目され始めたばかりの新しい考え方ですが、諸外国ではEvidenceに基づく西洋医学的な治療と併用して行われることが多く、研究も進み、その効果も認められてきています。生殖医療はその技術的進展から身体的な側面にこれまで焦点が当てられてきましたが、心身二元論的に“からだ”と“こころ”を切り離して考えるのではなく、その人の全体をみて、さまざまな側面からのアプローチを行い効果を上げていこうとするものです。統合医療を取り入れた先進的な試みを行っているIVF Japanグループの理事長である森本先生のお話は、生殖医療に対する新しい視点を聴衆に提供してくださいました。統合医療を取り入れた生殖医療施設としてはアメリカのBoston IVFが有名ですが、まさに森本先生はそれに匹敵する不妊治療における統合医療の実践を発信しており、説得力のあるお話でした。もうひとつの教育セミナーは生殖心理カウンセラーの上野桂子先生(セント・ルカ産婦人科)による、「生殖心理カウンセリングの現状と問題点」のご講演でした。生殖医療の発展・一般化とともに、恩恵を受ける方が増えていると同時に、いつまで治療を受けるのか、自分たちの子どもがもてない場合はどうすればよいのか、新たな選択や決断が今の不妊患者さんには迫られています。生殖医療を利用する患者の“こころ”に寄り添ってきた上野先生は、生殖医療が医師だけでなく、コメディカルと協働して患者にかかわることの大切さについてご自身の施設でのシステムを紹介しながらわかりやすく説明してくださいました。
引き続き、一般講演が行われました。今年はこれまでのポスター発表から、口演とポスター併用の発表形式に変更しました。演題の内容も、調査研究から事例研究まで幅広くなり、名実ともに心理学と医学を横断する学際的な学会となってきていることを実感しました。また、本年の優秀演題として、荒木晃子先生(立命館大学・内田クリニック)の「治療初期カップルに対するインタフェイス・アプローチの有用性~〈医療者-当事者カップル-心理士〉に共通のツール~」、菅沼真樹先生(東海大学)の「第1子喪失への悲嘆と第2子への愛情の芽生え-不妊治療開始時から出産までの継続的支援事例-」の2題が審査委員会により選出されました。優秀演題に選ばれたお二方には、久保春海理事長より賞状と記念品が授与されました。おめでとうございました。
本年もオルガノン社の提供を受け、昼食をとりながらのランチョンセミナーが開催されました。今回は生殖医学の世界のみならず広く社会的な話題となっている非配偶者間生殖医療の諸問題について、アメリカで長年日本人夫婦への治療コーディネートを行っておられる川田ゆかり先生(IFC: International Fertility Center)にご登壇いただきました。非配偶者間生殖医療大国であるアメリカでの貴重なご経験から、卵子提供や代理出産を希望する夫婦への具体的なコーディネートの内容や過程についてわかりやすく解説してくださいました。卵子・精子提供は不妊夫婦に子どもを授ける選択肢のひとつではありますが、それで子どもが得られたとしても、「自分たち二人の遺伝的な形質を受け継ぐ子ども」は得られないことになります。そのため、これらの治療の前には、そのことの喪失をしっかり悲しむことが必要であり、そのため川田先生のプログラムでも心理カウンセリングが必須となっていること等、興味深く拝聴しました。また、川田先生は、現在のわが国の非配偶者間生殖医療に対する門戸の狭さについて、夫婦間の治療のみで他の選択肢がないことで余計に不妊カップルが苦しむ結果となっており、できるだけ早くこれらの技術が日本でも利用できるようにすべきであると強く訴えられました。
午後の特別講演では、臨床心理士の橋本洋子先生(山王教育研究所)をお迎えし、「周産期に関わる臨床心理士から見た不妊体験者のこころとケア」と題してお話いただきました。橋本先生は、NICUという生と死が交錯する医療現場で、予想しなかった困難に直面する新しい親たちに寄り添い、新しい命との出会いと別れをこころの側面から支えるという仕事をしてこられた臨床心理士のパイオニアです。カウンセリングの現場としてはまだまだ新しい領域である生殖医療で働く私たち生殖心理カウンセラーにとっては、先端医療領域におけるカウンセリングの先達でもあります。橋本先生は、周産期医療の現場で見られる妊娠後の不妊体験者の現実を、豊富なご経験から映像なども交えてわかりやすく解説されました。そのなかで非常に印象的だったのは、命や人間への視点として、数値やデータで表すことが可能な「生命」の視点とかけがえのない「我が子」「愛する人」という客観的・論理的に割り切れない相互関与的な関係としての「いのち」の視点があるという考え方でした。自然科学の発展は「生命」の視点が確立したことにより大きな進歩をもたらしましたが、親と子が出会い、関係が育つためには「いのち」の視点が必須であるとのことです。生殖医療はこれまで、技術的な「生命」の視点で発展してきました。不妊体験者自身も医療従事者の視点を取り入れがちなため、「いのち」の視点は意識されることがこれまであまりなかったのではないでしょうか。生殖医療における心理カウンセリングという営みは、不妊体験者に(そして医療従事者にも)この「いのち」の視点を取り戻す(意識化させる)ために有用であり、だから必要なのだと橋本先生のお話を聴きながら考えました。橋本先生のお話は、そのほか「親になっていくプロセス」について、そして今大会のテーマでもある「喪失」についても有益な示唆が得られることばかりで、大変刺激を受けました。
最後のプログラムは、会長の柴原先生を座長としたパネル・ディスカッション「不妊治療後妊娠の喪失とケア」でした。
今回のメインテーマである「喪失」、特に治療を受け妊娠したにもかかわらずそれが流死産等によって失われてしまう事態は、生殖医療の現場では残念ながらよく見られます。不妊治療後の妊娠という喜びからそれが失われた絶望へと突き落とされる患者に対し、私たち医療関係者に何ができるのか、医師、看護師、心理士それぞれの立場から発言をいただき、討論が行われました。まず筆者(平山)がキーノートとして、不妊治療後の喪失の心理学的意味について概説しました。現在の生殖医療の現場では、妊娠することが価値あることとして悲しみは「見ないもの」とする傾向にあるため、喪失が喪失として認識されにくいということが、結果的に患者を苦しめるということなどを指摘しました。
続いて最初のパネリストの詠田由美先生が、「生殖専門医の立場からMiscarriage bluesを考える」と題し講演されました。ここで詠田先生は、妊娠喪失時の抑うつ気分を主とする感情的な反応を”Miscarriage blues(ミスカレッジ・ブルーズ)”という概念を提唱されました。これは産褥期のマタニティー・ブルーズから着想を得たものとのことです。ミスカレッジ・ブルーズも、マタニティー・ブルーズと同様、うつ病への移行リスクとなるとの指摘は先生のご経験から生み出されたものであり、臨床的有用性の高いものだと考えます。また、講演では、不妊治療後妊娠の喪失後に再び治療に戻ってくる患者の要因についての統計解析結果も発表され、非常に興味深く拝聴しました。
2番目のパネリストは、看護師を代表して川浪政美先生(木場公園クリニック)で、「喪失における看護師の役割とケアの実際」について、不妊症治療専門施設における看護ケアのシステムについて詳しくご説明くださいました。患者に対する心理的援助はカウンセラーのみが行えば良いというものではなく、それぞれのスタッフがその専門性を生かしてケアに当たる必要があります。治療技術面で最先端を走っている木場公園クリニックですが、患者の心理的サポートにも力を入れておられ、不妊治療後妊娠喪失時には体外受精コーディネーターが丁寧な情報提供を行っておられるとのことでした。また必要に応じて心理カウンセラーとの連携も行われ、システムが機能している事がよくわかりました。
最後のパネリストは生殖心理カウンセラーの星山千晶先生(京野アートクリニック)で、「不妊治療後妊娠の心理面における喪失とそのケアについて考える」と題したお話でした。星山先生は、不妊体験者にとっては、不妊治療により妊娠すること自体、「普通の妊娠の喪失」であり、親としての役割への移行に困難を生じる可能性があることを指摘されました。そしてその妊娠が失われることが患者にとっていかにつらい体験になるのか、さまざまな場合について解説されました。そして、不妊症治療施設という、妊娠のごく初期までしかフォローし得ない場で、心理カウンセラーがどこまでかかわっていけるのか、日々の迷いも含めて率直にお話いただき、同じような境遇にある私も非常に共感できるお話でした。
その後討論となりましたが、フロアからは現場の看護師の方から「患者のつらい話を聞いていて自分も涙してしまうのはよくないことなのだろうか」と多くの方が感じる疑問を投げかけられました。ようやく授かった命を失うというあまりにつらい現実に私たち援助者が心を動かされることは少なくありません。しかし、そこで一緒に涙することが援助者として適切かどうかはそのときの状況によると思います。このような臨床的な問題についても、今後本学会では養成講座やセミナーなどの場で一緒に考えていければと思います。
優秀演題の表彰(前述)のあと、柴原会長の閉会の辞、そして次期会長の森本先生から挨拶があり、今年の学術集会は終了しました。
次回の学術集会は、2009年1月18日(日)、大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で開催されます。東京以外では初の開催となる次回の学術集会の準備もすでに始まっています。他の学会とは一味もふた味も違う雰囲気のこの学会に皆様ぜひご参加ください。また、不妊相談を担当する医療従事者向けの「不妊相談士」、不妊の問題に専門性を持った臨床心理士を養成するための「生殖心理カウンセラー」各養成講座の募集も始まっております。そちらもぜひご応募ください。
文責: 平山史朗 ( 本学会副理事長・東京HARTクリニック )